Secret of My Heart

 「眠りの小五郎」の正体は何故見破られないのか、という話。解決編。

 この記事(http://d.hatena.ne.jp/de_colour/20111117/1321523502)を先に読むと、面白いかもしれません。でも、いきなりこっち読んでも大丈夫!あっちはネタです。こっちは、もっとネタです。
 

 昨日、本ブログで「眠りの小五郎」問題を取り上げた。話の発端となったのは、この画像(証拠その1)である。


 これは、毎週水曜日に小好評発売中の「週刊少年サンデー」に連載されている「名探偵コナン」という漫画の一場面だ。主人公である江戸川コナン(体はツルツル、頭脳はボーボー)が、毛利小五郎(子持ちバツイチ)を麻酔針で昏倒させ、変声器で彼の声を真似て犯人を追い詰める、というおなじみのシチュエーションである。この腹話術的な捜査手法は本来隠蔽されて然るべきものだ。しかし、どういうわけか江戸川はその身を露わにしている。しかし、周囲の人々は江戸川の存在を無視し、この伝言ゲームの異常性を糾弾するものはいない。どういうことだろうか。何故、誰も「眠りの小五郎」の欺瞞を指摘しないのか。これが「眠りの小五郎」問題である。


 まず、以前のものとは異なる参考画像(証拠その2)をご覧頂きたい。



 論を進める前に、ひとつお詫びを申し上げたい。前回の記事にて取り上げた画像(証拠その1)には、目暮警部(トリプルのスーツに包まれたデブ)の姿はなかった。対して、こちらの画像には、衆目に己を晒す江戸川と、彼を豪快にシカトする目暮のクソバカの姿がくっきりと映っている。ちなみに、この事件において探偵役を快く引き受けてくれたのは、毛利蘭(推定処女)の親友である園子(断定ビッチ)である。彼女は、三歩あるけばあらゆる記憶を失うという「メメント」「博士の愛した数式」もびっくりの記憶力の持ち主である。麻酔を打たれても気に病む様子はないので、不思議な葉っぱや魔法のキノコを常用しているに違いない。これは定説です。

 では、推理を始める。僕は驚くべき脳のスペック(英検2級、普通第1種免許取得済)を駆使して、あらゆる可能性を精査した。結果、「眠りの小五郎」問題について、以下の三つの仮説にたどり着いた。うち二つは容易に反証可能であったため、残り一つが真実であると判断する。無知浅学な諸君のために、「ピンク色の脳細胞」と称される僕の思考の一部をご覧にいれよう。タフでなければブログは書けないが、優しくなれなければブログを書く資格がないのだ。
 


 その1。「石ころぼうし」説
 (仮説)江戸川には、阿笠博士なるパトロンがいる。彼は工藤邸の隣家に住む中年男性で、悪魔的な発明の才を持つ。頭頂部は禿げ上がっている。「キック力増強シューズ」も「蝶ネクタイ型変声器」も、この錬金術師の発明品だ。育毛剤を除けばなんでも作れると言われる彼が、かの有名な「石ころぼうし」を江戸川に与えたのではないか。「石ころぼうし」を被っているから、目黒(海苔)高木(童貞)白鳥(言うことなし)及びその他大勢は、江戸川を視認できないのではないか。

 (反証)0点の回答である。「石ころぼうし」などというメルヘンなアイテムは、この世界に存在しない。リアリティ・ライン(作中におけるリアリティの水準)をいじくるような安易な結論は採択するべきではない。これが正解だと思った奴は、受精卵から人生をやり直せ。



 次の仮説に移る。



 その2。「みんなグル」説
 (仮説)「眠りの小五郎」の正体に、小五郎・蘭・目暮ら全員が気づいている。みんな「いいからコナン、早く注射しろや」と思っている。

 (反証)50点。まだ甘い。この説は一見真実に思えるが、二つの証拠写真を注視すればすぐに矛盾が浮かび上がる。証拠その1にも、その2にも、この事件において初めて江戸川ら主要登場人物たちと相見えたであろう一般人が確認できるではないか。たとえ「みんなグル」だったとしても、事情を知らない彼らがこの不自然な状況に一言もツッコミを入れないとは考えにくい。よってこの説も却下。

 









 ここからが本番だ。
 


 終わりの始まりを、始めよう。
 

 
 全部まるっとお見通しだ!





 




 
 その3。「毛利蘭が、コナン以外の全員を脅迫している」説
 証拠写真1及び2に、共通して登場する人物は誰だろうか。
 「江戸川コナン」と答えた貴方は、曾祖父の代から人生をやり直したほうがいい。正解は「江戸川コナンと毛利蘭」だ。証拠写真2の左下のコマには、毛利蘭が小さく映っている。また、証拠写真1において、毛利蘭は、毛利小五郎(江戸川)の推理を手助けするような質問を繰り返している。これらのヒントが意味するところはなにか。



 毛利蘭は、江戸川コナンの正体に気づいている。


 
 真実はこうだ。毛利蘭は、江戸川コナン=工藤新一であることにとっくに気がついている。しかし、毎週毎週殺人現場に赴き、「黒ずくめの…ジン…ウォッカワンカップ大関…」などとつぶやく江戸川の様子を見て、彼にはなにか抜き差しならない状況があり、己の正体を明かすことが出来ないのだ、と気づく。推定処女とて立派な女だ。毛利蘭の勘を、甘く見てはいけない。

 彼女は同時に「眠りの小五郎」の真実にもたどり着く。

 思えば、あの無能なお父さんが突然才気煥発の極みに到達するなど、あり得ない話だったのだ。あれは、新一の腹話術だ。











 わたしは、いつも不満だった。
電話口の向こうにいるのは、小さくなった新一だ。
機械で声を変えて、私に語りかける。
「コナン君って、新一だよね?」
何度言いかけたか分からない。
その度に唇を噛んで耐えてきた。
きっと事情があるのだろう。
たくさんの事件に、首をつっこんで。
わざと巻き込まれて。
新一は、なにかを探している。
わたしは、新一が自分から秘密を打ち明けるまで、
なにも問いたださないと決めた。



 新一は、推理のことしか頭にない。
『なぁ蘭、あの推理小説の犯人、誰だか分かる?』
『蘭、やっぱりホームズはすごいぜ。』
『例のドラマ、蘭も見た?陳腐なトリックだよな。』
いつも話題は同じだ。
推理推理推理。
サッカーも上手なのに。
顔も結構かっこいいと、思うんだけど。
そういうことには、
あまり興味がないらしい。
推理推理推理。



 新一の幼なじみだということが、
平凡なわたしの、たったひとつの自慢だった。


 
 推理の話をしているときの新一は、
生き生きとしていてとても楽しそうだ。
「高校生探偵」だとか騒がれているし、
女の子のファンも多いけれど、
わたしといるときの新一は、普通の男の子だ。
趣味が少し特殊なだけで。



 『謎は全て解けた!』
子どものようにはしゃぐ彼を、
得意げに笑う彼を、ずっと見ていたかった。











 たくさんの時間が流れた。
コナン君は、新一は、わたしに嘘をつき続けた。
『蘭姉ちゃん!灰原と遊んでくるよ!』
新一がわたしに叫ぶ。
『わりい蘭、まだ帰れないんだ』
コナン君が電話の向こうで謝る。


 
 もう限界だ。
わたしは、新一の笑顔が見たい。
もう一度、笑いかけてほしい。
わたしの名前を、ぶっきらぼうに呼び捨ててほしい。
「蘭姉ちゃん」なんて呼ばないで。


 
 でも、新一の邪魔はしたくない。
嫌われたくない。
どうすればいいのだろう。どうすれば。








 
 

 『謎は全て解けました』

 おなじみの芝居が始まる。
小さな新一の姿は見えない。 
 









 「やっぱり、物陰で笑ってるのかなぁ。」
 
 
 
 

 

 また、新しい事件が始まる。 
 


 

   

 なにか閃いたらしい新一は、大げさに目を見開く。
『蘭、みんなを集めてくれ』
新一が、お父さんの声でわたしに命令する。
わたしは頷く。
刑事さんと、この事件に関わった人を呼びにいく。










「父が呼んでます。あの、」



「実は、ご相談がありまして」



「そうです。メガネの子です。いたずらっ子で」



「父に、構って欲しいんだと思います」



「できれば、放っておいて頂けないでしょうか?」



「子どものすることですから」



「え?なんでわざわざ、って?」











 新一は、事情を知らない人が見ればただの子どもだ。
彼を無視して欲しい、というわたしのお願いは、
そんなに変じゃないと思うのだけれど。
わたしを疑う人は多い。



 空手を習っていて、本当によかった。


 





 新一。
わたしの新一。


「お父さん、みんな呼んできたよ」
 



 



 ……困った。
今日は隠れる場所がない。

 でも、あいつらオレが堂々としてても何も言ってこないな。
よほどマイクとスピーカーの性能がいいらしい。
このままでいいか。
毛利のおっちゃんにひっついてる、ってことにしとこう。
どうせ、見た目はただの子どもだし。








『謎は全て解けました』
 



 


 江戸川コナンは知らない。刑事、犯人、無実の関係者たちも、毛利蘭に怯えていることを。毛利蘭は、うっとりとした目で少年を見つめている。

 








 今週は、山奥のロッジに一泊。
その次は、学園祭。
その次は、京都旅行。
新一は、まだまだ本当のことを話すつもりはないらしい。
私も、問いつめるつもりはない。







 せめて、
こんな日々がずっと続けばいい。



 新一が、ずっと笑顔でいられますように。





 はやく水曜日になあれ。



 






 「わたし、新一のことが、だいすき」 




 




 真実はいつも一つ。