たのしいかった だいがくせい

 大学生活の話。

 長い長い大学生活が今日で(ほぼ)終わろうとしているにも関わらず、特に気持ちに波風が立つでもなく、なんだか呆気にとられています。とはいえ、今日という日が大なり小なり、なんらかの区切りであることは間違いなく、区切りは適切に区切られるべきだと僕は思うのです。そこで、なかなか起伏の激しく、かつ楽しいキャンパスライフを送ってきた身として、僕が考える「こんなことしたら大学生活が楽しくなるよ」を開陳したいと思います。そんなに素晴らしいものじゃありませんよ。いま大学生をやらかしている人、これから大学生をやらかそうと思っている人に向けて、少しだけ年上の僕から、ささやかなアドバイスです。煮るなり焼くなり、どうにでもしてください。

<全体のまとめ(のようなもの)>
 (1)自分を相対化しようね
 (2)価値判断の基準があると世界がクリアになるよ
こんな感じです。

 (1)共通点の少ない人と知り合いになろう
 思うに、高校というのは「似たもの同士の集まり」です。年齢・学力・生活圏、いろいろなものが似通った人たちが集団生活を送っているところです。もちろん、同じような環境を大学で作り上げるのも、さほど難しいことではありません。むしろ、けっこう簡単だと思います。
 似たもの同士で集まることには、たくさんメリットがあります。悩みも似ているだろうし、ライフステージを登るタイミングもシンクロします。なにより、「みんないっしょ」は、とても心地がよいものです。でも、似たもの同士で集まるのが常にベストかというと、そんなことはありません。僕も大学生になって初めて知ったのですが、世の中にはいろんな種類の人がけっこうたくさんいて、みんなバラバラのことを好き勝手に考えています。これまで自分が当たり前だと思っていたことを、まったく当たり前だと思っていない人もそこら中にいるのです。
 自分にとっての「ふつう」を問い直すというのは、とても重要な経験だと思います。多くの場合、人が「ふつう」だと思っていることは、環境/親の考え/友人からの同調圧力/その他もろもろ周囲の目、などなど、様々なものに影響を受けています。それらの影響を完全に排除することは不可能ですし、推奨もできませんが、「ああ、俺/私って、こんなことに影響をうけて、こんなふうに偏っているんだなぁ」ということを自覚するのはいいことです。自分の「ふつう」を絶対視してしまうと、なにかの拍子にそれが真正面から否定されたとき、心が叩き折れてしまうからです。そうならないためには、いろんな人、特に、自分と考えが全然違う人の「ふつう」を聞いて、咀嚼する必要があります。難しく言えば、自分を相対化しようね、ってことです。
 たくさん友だちを作る必要はありません。親しくなりたいと思える相手はそう多くはないでしょうし、無根拠に「友だちをいっぱいつくりたい」と思ったところで、繋がり中毒になって疲れ果てるのがオチです。そのかわり、いろんなサンプルと接触して、自分が人と比べてどう違うのかを確認してみたらいいと思います。派手に他人とぶつかって事故る前に、やわらかくコンタクトをとってみましょう。
 大学には、様々な出自を持った、いろんな世代の人がいます。同級生だったり、先輩だったり、後輩だったり、生協のおばちゃんだったり、教授だったり。大学生は基本的に暇ですから(暇というのは、「予定がない」ということではなく、「予定の優先順位を自分で決められる」ということです)、とりあえずたくさんの人とコミュニケーションを取る機会を作りましょう。コミュニケーションをしろ、と言われて、恥ずかしく思う気持ちもあるかもしれません。でも、恥ずかしがらなければならないほど真剣なコミュニケーションは滅多にありませんし、人は良くも悪くも他人に無関心です。そもそも、自分の「ふつう」を確かめるためのコミュニケーションですから、コミュニケーション自体が成功しようがしまいが、それがマイナスの経験になることはないのです。とにかく、いろんな人に自分の「ふつう」をぶつけて、それがいかに「ふつうじゃない」のかを確かめてみましょう。
 もちろん、大学の外に出てみるのもいいでしょう。アルバイトをしたり、趣味を始めたりして、さらに共通点が少ない人と知り合う、というのも有効な手立てです。縁遠いなと思っていた世界に、案外面白いものが転がっている、なんてことは人生あるあるだと思います。

 (2)好きなことを見つけよう
 好きだというのは、そのことについて深く考えている、ということです。僕は、大学生のうちに「このことが好きだな」という物/人/事を、ひとつでも見つけられたらとても素晴らしいと思います。対象はなんでもかまいません。フットサル、バイト、合コン、恋愛、ラーメン二郎、読書、昼寝、ダンス、旅行、散歩、研究などなど。本当になんでもいいと思います。ポイントは「好きかどうか」のみです。それに手間と暇をかけられるか、そして、それについて考えることが苦にならないか、がキモです。好きなことが見つかったら、たくさん時間を使いましょう。
 なにかについて一生懸命考えると、ものの見え方が変わります。一生懸命考えている「好きなこと」が、それ以外のいろんなことの基準になるのです。たとえば、僕は読書が好きなのですが、映画も演劇も音楽も漫画もアニメも、すべて「お話として良いかどうか」が、良し悪しを判断する最初の基準になっています。つまり、様々な表現に、読書(本)という尺度をあてはめているのです。また、僕はテニスが好きなので、スポーツを見るとき「テニスでいうと、こんな状況なのかな」という認識の仕方をします。
 なにかを好きになって、「それ」について熱心に考えていると、「それ以外のもの」が「それ」に見えてくる。すなわち、理解しやすくなるのです。言い方を変えれば、「好きなこと」を作るのは「好きではないこと」を理解するためです。好き嫌いとは関係なく、理解をするのはたいせつなことです。理解さえしておけば、辛いことを回避したり、苦痛を和らげたりできるかもしれないからです。そして、なにかを理解するうえで、「好きなこと」があるのは、とても助けになります。

 

 よかったら参考にしてみてくださいな。そろそろラーメン屋さんが開くので、今日はこのへんで。