『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』

 本の話。

 ジョナサン・サフラン・フォア『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』を読みました。2005年にアメリカで出版された小説ですが、邦訳が出たのは2011年の6月です。とても面白かったので、感想を書いてみます。核心部分をネタバレるつもりはありませんが、入り口部分は書いてあるので、一切情報が欲しくない人は読まないほうがいいと思います。それでもよければ、どうぞ。



 『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』は、アメリ同時多発テロでお父さんを亡くしたオスカーが、NYの街を冒険するお話です。オスカーは9歳。アクセサリー作りと、著名人にお手紙を書くことが趣味。とてもひょうきんで、難しい言葉もたくさん知っています。彼のお父さんは、9.11の当日、WTCビルの崩落に巻き込まれて亡くなりました。それ以来、オスカーは眠れなかったり、アラブ系の人を見ると不安になったり、エレベーターや公共交通機関に乗れなくなったりしています。自分にあざを作ることもやめられないし、頭のなかで楽しい「発明」をしないと、すぐ落ち込んでしまいます。彼を心配してお母さんはオスカー病院に連れて行きますが、お父さんのことを忘れたくないオスカーは、医者も、男友達のロンと頻繁に会うお母さんのことも信用できません。そんなオスカーは、お父さんが残したらしい鍵を見つけます。家のどこにも収まらない鍵。鍵が入っている封筒には、赤いインクで「Black」の文字。どこかにいるブラックさんのことだろうと検討をつけたオスカーは、NYに住むブラックさん全員を訪ねようと思い立ち、鍵の収まる鍵穴と、お父さんについての手がかりを探す旅に出ます。

 もうひとりの主人公は、オスカーの祖父、トーマス。トーマスは、第二次世界大戦ドレスデン爆撃で、恋人アンナを亡くしています。次第に言葉を失い、口がきけなくなってしまったトーマスは、筆談でコミュニケーションをとるようになります。あらゆる言葉を手帳に文字で綴り(便利だから、左右の手には「YES」と「NO」の入れ墨がしてある)、数えきれないほどの手紙を書きます。トーマスはアンナの妹(オスカーのおばあちゃん)と結婚するのですが、夫婦生活はどこかちぐはぐです。

 この小説は、父を亡くしたオスカー、恋人を亡くしたトーマスという、二人の話が絡み合って進行していきます。両者に共通しているのは、理不尽な悲劇によって愛する人を亡くしてしまったこと、そのショックを整理できていないことです。オスカーは鍵について調べることで、トーマスは文字を綴ることで、内なる心の傷に近づいていきます。言うなれば、これは長い長い「喪に服す」物語です。

 何の気なしに使ってみましたが「喪に服す」ってずいぶん曖昧な言葉だなと思います。一般的な意味で言えば、まぁあんまりどんちゃん騒ぎするのはやめようぜ、ってところなのでしょうが、よく基準が分かりません。それでも僕はこの小説が「喪に服す」話だと思ったし、それはあながち間違いではないと思うのです。『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』を通じて、僕は「喪に服す」という言葉の意味と実践について考えさせられました。

 テロや戦争は、文字通り暴力的に、人の人生を断絶させてしまいます。それは混じりけなしの悲劇だと思います。でも、この小説は直接的に「死」を扱っているわけではありません。あくまで軸足は「生きている人」の側にあります。

 よくよく考えてみたら、僕たちは自分の死後に語られる言葉を聞く術を持ち合わせていません。死んだ人々にとって「人生が終わったこと」は確かに悲劇ですが、それを知覚する間もなく人は死ぬのだと思います。僕たちは一生に一度しか死ぬことが出来ません。代わりに、一生に何度か、大切な人を亡くします。それは唐突にやってくることもあります。残された人々にとって「人生が終わらないこと」は悲劇です。オスカーの父はテロに巻き込まれて死にました。オスカーはそのとき学校にいました。アンナはドレスデン爆撃で死にました。トーマスは、倒れているところを助けられました。

 大切な人を亡くしたあとも、残された人々の多くは生きていきます。死ぬというのは、なかなか難しい。まだ子どもであるオスカーはもちろん、青年期に爆撃を経験したトーマスも、死を選ぶことはありませんでした(結婚もしたし、子どもも作りました)。代わりに、オスカーは自分にあざを作るようになり、トーマスは言葉を失いました。

 「喪に服す」というのは、きっと、生きることそれ自体が悲劇になってしまった人が、それを受け入れるプロセスを指すのだと思います。オスカーなら、鍵を探すこと。トーマスであれば、文字を綴ること。どうして自分だけがこんな目に、とか、どうしてあのときああしなかったんだろう、とか、なんであんなひどいこといったんだろう、とか。様々な傷を抱えた人が、それを「克服する」のではなく「折り合いを付ける」というのが「喪に服す」ことなんだと、僕は考えました。『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』に登場する人々全ては、みな正しく「喪に服して」います。辛く悲しい現実、受け入れ難い現実、乗り越え難い悲劇と、どう共存するのか。僕は、そういう話としてこの小説を読みました。

 こう書くとなんだかとても悲しいお話に見えるし、事実悲しいお話ではあるのですが、語り口はユーモラスで軽やかです。オスカーの口調はとても可愛らしいし、トーマスが両手(YESとNO)をひらひらとさせて会話する様子は、どこか滑稽です。世界中の偉人の伝記を一言に要約しているおっさん、旦那についての博物館を家に作ってるおばちゃん、などなど、変な人がたくさん出てきます。また、写真や名刺、オスカーの作ったスクラップブック、試し書きの文字といった作中の小道具は、どれもそのまま本に載っています。視覚的にも楽しくて飽きない作りになっています。

 この小説は9.11という枠に留まらず、普遍的な「喪に服す」物語として読めると思います。9.11から10年であり、同時に3.11が起きた2011年に邦訳が出版されたということにも、なにかの縁を感じてしまいます。理不尽な暴力を目の当たりにした人は、どう後悔し、どう咀嚼するのか。ラストシーンがとても美しくてロマンティックなので、是非多くの人に読んでもらいたいなと思います。

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い