恋愛スピリッツ

 塾で教えていることと、マクガフィンの話。
 
 進学塾で長く教えている。経験を積めばノウハウが溜まってくるので、十数人程度が机を並べる教室をコントロールするのは、そこまで難しい話ではない。毎週3時間、人前に立って話すのは、なかなか楽しい。
 
 返事がすぐ返ってくる質問と、そうでない質問がある。子どもに限らず誰でもそうだけど、当たり前に使っている言葉の定義を問われると、人は答えに詰まる。「比較って、なに?」「論理的って、どういうこと?」「分かる、って具体的にどういう状態?」言葉の意味を間違えずに使える、ということと、言葉の意味を説明できる、ということのあいだには、けっこう大きな隙間がある。それに気づけたことが、僕にとっては一番大きな収穫だと思う。

 「愛とはなんぞや」「恋とはなんぞや」なんて議論を交わすカップルというのは、あまり聞いたことがない。それに、お互いの心のうちを覗くことは出来ない以上、どれだけ言葉を交わしても感情を正確にシンクロさせることはできない。そう考えると、恋愛というのは巨大なマクガフィンなのかもしれない。目隠しして衝突した二人の接点に、恋愛という名札が貼られているだけだ。

 個別の相談に乗ることはできても、そこにある感情を丸ごとすくいとってあげることはできない。どうせなら激しく正面衝突してしまえばいいじゃない、価値観ズレてて事故るのも悪くないよ、と耳打ちする僕は、割とサディスティックなのかも。